『何故に死を想う』
自分は、いつか死ぬ。消えてなくなる。テレビのスイッチが切れるように真っ暗になり、二度と何かを感じたり、考えたりすることができなくなる。
そう思うと、胃のあたりが重く締め付けられるような、なんとも言えない恐怖におそわれる。
死にたくない、と思う。
生きていてやりたいことは山のように存在している。ただ、その夢は、実現にはあまりにも遠い。いつ訪れるかわからない死におびえ、やりたくてもできない物事に苛立ちながら、それでも死が訪れることを待つのは嫌だ。いっそのこと、みずから死を迎えに行こうか。
死。
恐怖。
死にたい、でも死にたくない。
思考は同じ場所をぐるぐると巡り続けるだけだ。
小学生の時、私は母にたずねたことがある。夜中、唐突に死を思い、その恐怖に泣きながら母の布団にもぐり込んだ時のことだ。
「死ぬの、こわい。おかあさんはこわくない？」
「こわいよ。でも、こわいのは、そこの先に何があるかわからないから。わからないものをこわがっていても仕方ないし、いくらこわがっていても、いつか必ず死ぬということに変わりはない。だから、死ぬことは考えずに、生きることを考えるようにしてるの」
その夜は、母に抱かれながらも、なかなか寝付けなかった。母の規則的な寝息、肌の香りとぬくもりが、今も私の記憶に深く刻み込まれている。
その母は今、病院にいる。
この1年で3度目の入院。合計7ヶ月の入院生活。二度と回復することのない重度の身体的障害を負いながら、それでも生きることを考えている。
こわくないはずは、ない。死が、大きな足音を響かせて、すぐそばまで迫ってきているのだ。避けられない現実を事実として受容するのには、精神的に大きな努力を必要とする。現実がマイナスの側面を多くもつものであればあるほど、その努力は困難をともなうだろう。
私は、母の強さに畏怖すら感じる。私には、母のように振る舞う自信がない。いや、実際にそうなったら、できるのだろうか。そうかもしれない。しかし、今はわからない。
ある日、病院のベッドに横たわった母が、ポツリと言った。
「お前、誰かいい人はいないの？」
「いないなぁ」
「困ったねぇ」
「誰かいたら、毎週末付き添いになんか来ないよ」
「そりゃそうだね……」
母は、少し悲しげな表情を見せた。
母は、私が子供たちの中でも一番の臆病者で、いつも母だけを頼りにしてきたことを知っている。そして、避けられない死が母を訪れる前に、私が母の他に頼りにできる人を見つけられるかどうか、心配している。
私はそのとき、トイレに行くふりをして病室を出て、ひとりで泣いた。
滝澤（1999/06/06）
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