１１
　マキムラの声を合図に、義行と少年は剣を同時に地面から引き抜いた。
　と、少年はくるりと体をまわし、遠心力を使って剣を横になぎ払う。抜いた剣を構えきれないでいる義行に、その鋭い切っ先が襲いかかった。義行は慌てて身を退いたが、よけきれない。腹のあたりを剣がかすめて、鋭い痛みが走った。
　畜生、速い！
　瞬間的に、義行はダミースーツの性能差を悟った。が、対応策を考える間もなく、少年の第二撃が頭上がら落ちてくる。
　ガッ…
　義行は剣の峰に手を添えて、その攻撃を辛うじて受け止めた。衝撃で、剣を持つ手がしびれる。少年の外見とは裏腹に、パワーも相当のものだった。
　少年は無防備になった義行の股間を蹴り上げようとしたが、義行は膝を締めてそれを防ぐ。少年は、そこで一旦後退して間をおいた。
「へえ、さすがだね。今のを全部防ぐなんて…」
　義行は少年に蹴られた膝の痛みに耐えながら、剣を構え直した。スピードもパワーも、段違いである。ダミースーツの性能向上のために費やせる時間が三〇倍もあったことを考えれば、少年の強さにも納得できなくはない。が、これは、かなり分の悪い戦いになりそうだった…。
　と考えるうちに、少年は第二波の攻撃を仕掛けてきた。
　鋭い突き。義行は受け流したが、左脇腹を切り裂かれる。そして、少年はまたも体を回転させると、遠心力にまかせて剣を振るった。義行は剣の鍔でそれを受け止めると、機先を制して少年の膝の脇めがけて蹴りを放つ。しかし、少年が大きく跳びすさったために、義行の足は空を切った。
　かすりもしない…。
　義行は、このままでは勝ち目がまったくない事に気付いた。何か方策を考えなければ、このままダメージを与えられ続け、すぐに体が動かなくなるだろう。脇腹にもらった突きの痛みで、すでに体の動きが鈍りはじめている。あの突きには要注意だ……。
　そこで、義行はひらめいた。が、それは最悪のアイデアだった。
「賢者の石の使用限界まで、残り二分」
　リナの声が聞こえる。
　時間がない。義行は、その最悪のアイデアを実行にうつす以外に方法がないことを悟り、決断した。
　少年が躍りかかってくる。
　義行はその攻撃を受け止め、かわし、受け流し、そして小さな傷を負い続けた。間断なく与えられる苦痛のせいで、義行は意識を集中できなくなってくる。
　畜生…はやくあの突きを出せ…。
　義行は心の底から祈った。しかし、その祈りは届かない。少年は突きは繰り出さず、剣を上下左右に振るい続けた。義行は言うことを聞かなくなってきた自分の体を叱咤しながら、無心でその攻撃を耐える。
　しかし、ついに義行の防御にも限度がきた。
　少年の剣が、義行の腿を深々と切ったのである。義行は大きくバランスを崩した。瞬間、少年は体の脇に剣を引きつける。
　突きが来る…。
　義行は確信した。その案に違わず、少年は突きを繰り出してくる。義行はそれを防ごうともせず、逆に踏み込んでいって腹でまともに受けとめた。少年の剣が、鍔まで義行の腹に埋まる。
「ぐおぉっ！」
　義行は苦痛に吠えながら、左手で少年の腕を捕らえて引き寄せ、右手に持った剣を少年の喉元に突き入れる。剣は少年の喉を貫通し、少年は大きく目を見開いた。
　そして、二人は抱き合うような格好で、一緒になって地面に崩れ落ちた。
「賢者の石の使用限界まで、残り一分」
　リナの声を耳にして、義行がよろよろと身を起こす。義行の受けたダメージは、いずれも機能停止に至るようなものではなかったのだ。逆に、少年の受けた唯一のダメージは、致命的なものであった。少年は倒れたまま、動かない。
　義行は腹の剣を引き抜くと、リナに自分の修復を命じた。そしてキーボードを呼び出し、のろのろと叩きはじめる。
「義行、だめよ！　その子を消さないで！」
　真理奈が駆け寄ってきて、そう言った。義行は顔を上げ、自分よりも幼い姉の顔を見る。悲しげな表情をしていたが、それでも懐かしい顔だった。
「レイナ…」
　義行は思わず姉の頬に手を伸ばし、指先で触れた。真理奈は、その義行の手を握りしめる。
「この子を消さないで。この子は可哀相な子なのよ。それに、この子がいなかったら、私は一八〇年という長い時間を耐えられなかったかも知れない……」
　真理奈は、少年の乱れた髪をなでた。少年はそれに反応してかすかに口を動かす。声にはならなかったが、姉の名を呼んだようだった。
「駄目だよ、レイナ。こいつを残しておくわけにはいかない。こいつが言ったように、二人の坂崎義行はいらないんだ」
　義行は首を振り、少年の……六年前にここに取り残された自分の脳マップの消去作業を進めた。
「そんなの間違ってる。この子とあなたは、他人じゃないのよ。坂崎義行が二人いるんじゃないの。この子は、あなたがなっていたかも知れない可能性。これからなるかも知れない可能性の姿なの。あなたは、その可能性を捨てて生きることはできないわ」
「レイナ、駄目だよ……駄目なんだ」
　義行は手を止め、真理奈をちらりと見た。真理奈はその義行の頬を両手で包むようにして、そっと額を寄せる。
「ううん、そんなことない。駄目なことなんかない。あなたは、自分の中にこの子がいることを恐れているのよ。あなたは鏡を見て怯えているのよ。でも、あなたはもう知っている。自分が怯えていたものの正体を知っている。目の前にいる少年が誰なのか知っている。そうでしょう？」
　義行は戸惑いを感じながら、真理奈の瞳を間近に見た。姉の目は、六年前と変わらない優しさを湛えている。
「賢者の石の使用限界まで、残り三〇秒」
　穏やかなリナの声。
「……わかったよ、どうすればいいんだ？」
　義行の言葉に、真理奈は悲しげに微笑みながら額を離し、言った。
「このまま放っておいて。ゲームが終了すれば、私とこの子、そしてマキムラさんは、このパラ・トキオから解放されるわ。私は、この子の心の傷が癒えるまで、ずっと面倒を見る。どうせ私たちには帰るべき体がないんだから、サイ・トキオまで出られればいいのよ」
　真理奈の言葉に、マキムラが口を挟んだ。
「いいや、それは違う。君のお母さんは、ブースに放電される前に、君の体をブースから引き離していたのだ。君の体は、今も病院で君の帰りを待っている」
「本当に？」
　真理奈と義行は同時に声を上げた。ややあって、真理奈の目から涙が溢れ出す。
「…私……もう……ずっと昔に諦めてたのに……」
「賢者の石の使用限界まで、残り二〇秒」
「どうするのかはやく決めたほうがいい。賢者の石の力を呼び覚ますのに、五秒は欲しいんだ」
　カノーが声を上げる。
「よし、わかった」
　義行は答えると、キーボードで打ち込んでいた削除の命令を書き換えはじめた。
「おい、もう一人の俺よ、聞こえるか？　お前の知識を俺の脳の未使用領域に移して、ここから連れ出してやる。俺を説得したレイナに感謝しろよ」
　少年は、わずかに口を動かした。
「なんだって？」
　義行は少年の口に耳を近づける。少年は、再び口を動かした。義行は少年の言葉を聞き取り、思わず苦笑する。
「なんて言ったの？」
　真理奈が義行に尋ね、義行は照れくさそうに答えた。
「また会おう、だってさ」
「賢者の石の使用限界まで、残り一〇秒」
　リナが告げた。
「畜生、のんびりしてられないな………よし、できた」
　義行はせわしなくキーを打ち、すぐにそれを実行する。少年の姿は、掻き消えるように失せた。
「カノー、頼む。始めてくれ！」
「よし」
　カノーは賢者の石を空にかかげたると、声を張り上げた。
「今こそ汝、蘇るべし」
　遠方、果ての迷宮のあった方角から、暗黒が急激なスピードで迫ってくるのが見える。崩壊は加速する一方で、すぐにもこの草原にまで到達しそうだった。
「残り五秒」
「触れる物すべて、これを黄金に変えよ。触れる人すべて、これを癒せ。そして、あまねく平安に導きたまえ！」
　カノーの声に呼応して、その手にある賢者の石が赤い輝きを増す。
　その輝きは、迫りくる崩壊の暗黒さえも圧倒していた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（滝澤真実）