１０
　再び六年前、二〇五五年。場所はパラ・トキオ。果ての迷宮、玉座の間。
「いけない！　荒神は過電流を流す順番を変更したわ！　最後は義行よ！」
　真理奈の声。
「くそ、なんだって？　もうこっちの変更は間に合わない……」
　坂崎健太郎はそこまで言ったところで、消滅した。
「ははっ！　消してやったぞ！　ざまあ見ろ！」
　荒神は下卑た笑い声を上げる。
「坂崎君！」
　松田の叫び声は、むなしく響くだけだった。
　真理奈は悲しげに目を閉じたが、すぐに決然とした様子で目を開けた。
「義行、あなたは生き残るの。いいわね……あ…あなた、お父さんの知識部分を自分
の脳の未使用領域に移したのね？」
　義行はうなずいた。
「偉いわ。頑張るのよ。いつか必ず荒神を滅ぼして、私をここから連れ出してね…私
のかわいい……義行ちゃん………」
　真理奈の幻が、そっと義行のほうに手を伸ばす。
　一瞬、違和感があり、周囲の景色が揺れたような気がした。
　そして、義行はあいかわらずそこにいた。
　松田、牧村、宮上、佐藤の姿は、どこにもない。その場に残っているのは、義行と荒神、そして真理奈の幻だけだった。
　義行は困惑の表情を浮かべながら、無言でキーボードを叩く。
　呼び出されたのは、再起動前後のシステムの動作を記録したログファイルだった。そこには、アクセスブースへの放電や脳データの書き込みに関する命令が次々と実行されている様子が、克明に記されている。
　そのログファイルによれば、牧村・松田・宮上・佐藤の脳データは、移動のための中間ファイルに変換され、パラ・トキオのシステムから削除されたていた。しかし、外部システムによる脳への書き込み作業が完了する前に、牧村のブースに過電流が流されてしまったために、書き込みは失敗していいる。中間ファイルだけが、外部システムに残される結果となっていた。
　義行の脳データも同様に中間ファイルに変換されたが、パラ・トキオからの削除命令が実行される前に、システムの再起動がおこなわれた。再起動後、外部システムから義行の脳データ書き込みが正常におこなわれた旨の通知がきている。しかし異常なタイミングで再起動がおこなわれたために、システムは義行の脳データ削除を保留していた。義行は自分の体に戻ったが、パラ・トキオの中にも残される結果となっていたのである。
　アクセスブースへの放電は順次実行されていったが、最後の八人目、義行のブースへの放電の直前に、システムの再起動がおこなわれた。再起動後は、アクセスブース関連のシステムがすべて停止してしまっていたために、最後の義行のブースへの放電は実行できなかったというエラーが残されていた。
　義行は、このログファイルを見て、ひどく動揺した。
　おかしいじゃないか！　僕はここにいるのに、僕の体の中には別の僕がいて、僕のように振舞うなんて。僕はここにいるんだ！　ここにいる僕以外は僕じゃない！　不公平だ！　どうして僕はここに取り残されたんだ？　どうしてお父さんは僕やレイナを一番に外に出してくれなかったんだ？　やっぱり、お父さんは僕たちのことなんてどうでも良かったんだ。お父さんは、子供なんか欲しくなかったんだ。僕たちは、見捨てられたんだ…。
　義行の心の中に、憎悪の炎がゆらめいた。
　そうさ。だから僕はレイナと一緒なんだ。レイナとだったら一緒にやっていけるから、いいんだ。お父さんなんかいらない。お母さんなんかいらない。レイナが一緒にいてくれれば、それでいいんだ。レイナと一緒に、僕の体を盗んだ僕のニセモノを、やっつけてやる。僕とレイナを引き離そうとする奴を、やっつけてやる…。
　義行は、荒神をにらみつけた。
　まだ十三歳の少年の視線としては、あまりにも凶悪な目つきだった。それまでは状況を把握できずにただ義行の様子を見守っていた荒神だったが、瞬間的に身の危険を感じて、キーボードを叩き始める。
　しかし、義行のほうが熟練していた。
　義行は荒神のダミースーツ制御を司っているプログラムを発見すると、そのプロテクトを破り、プログラムを停止する。
　荒神はの体は、唐突に動かなくなった。
「あれ？　何で消えないんだろう」
　義行はプログラムをチェックするうちに、自分が停止させたのはダミースーツの肉体的な制御の部分だけであることに気付いた。すぐに全機能の停止……システムからの消去を考えたが、ふとしたひらめきに満面の笑みを浮かべた。
　義行は笑みを浮かべたままキーボードを叩く。と、荒神の表情に動きが戻り、声が出るようになった。しかし、体のほうは相変わらず硬直したままである。
「義行！　何をした！」
　荒神が声を張り上げる。
「ただ消しちゃうのはつまらないからね。楽しまなきゃ。時間はいっぱいあるんだし」
「くそ、消すなら消せ！」
　荒神の怒声を聞き流しながら、義行は一連のコマンドを打ち込んだ。
　と、荒神は苦悶の表情を浮かべる。
「ぐぉっ、指がぁ！　指がぁ！」
「義行ちゃん、やめなさい！」
　真理奈の幻が叫ぶ。しかし、その声を義行は無視した。
「うん、痛いだろうね。ダミースーツの指から痛覚信号を送ったから。でも大丈夫、ゲームでは強い痛みを感じないように、痛覚信号の抑制機能がついているんだ。だから、その抑制機能をとりはずせば……」
　義行の陽気な声は、荒神の絶叫にかき消された。
「お願い、やめて！」
　真理奈の幻が荒神の叫びに負けないような大声で叫んだ。
　義行は姉をちらりと見やり、諦めたようにキーを叩く。荒神の絶叫は次第に小さくなり、代わりに苦痛にあえぐ声がその口から漏れた。
「…頼む……ひ、ひと思いに……消してくれ……お願いだ…助けてくれ……」
　荒神は顔をくしゃくしゃにして、涙を流しながら言った。
　義行は先ほどまでとはうって変わった荒神の様子に興味を憶えて、想像をめぐらせた。どうすればこの男を「より面白い」姿にすることができるだろうか……。
　そして、ひらめいた。
「おじさん、真理奈ねえちゃんのことが好きなんだよね？」
　義行は真理奈に施されたプロテクトを解除しはじめながら、想像を膨らませる。
　そして、自分の残酷な空想に酔いしれ、微笑んだ。

　現在。パラ・トキオはずれの草原。
「システム崩壊までの残り時間、推定二〇分」
　リナが機械的に告げた。しかし、少年は語り続ける。
「僕の作ったニセモノのレイナのそばに一八〇年だよ、信じられる？　外見だけのお人形を守って一八〇さ、馬鹿みたいだろ？　それに、あのニセモノが溶けた瞬間のみんなの顔ときたら……」
　少年は高らかに笑い、思わずにじんできた涙をぬぐった。その手を握る真理奈は、悲しげな表情でうつむきながら、少年の笑い声を聞いている。
　義行は、吐き気をもよおした。
　悪趣味なガキだ。あの溶ける真理奈の映像で俺さえも騙し、笑い者にしやがった。こんなクソの足しにもならない奴が自分であるはずがない。こんなイカれた奴が自分であるはずがない。こんな最低のクソガキは、この世界から抹消してやる……。
　と、少年が笑った。
「ふふふ、何を考えてるのか、僕にはわかるよ。僕のことが気に入らないんでしょ？　僕を抹殺して、とっととここから出たいんだよね。でもさ、僕たちは同一人物なんだ。そんなに嫌わないでよ」
「黙れ！　俺はお前なんかとは違……」
　義行の言葉を、少年が遮る。
「違うって言いたいんだよね。そう思いたいのはわかるよ。でも、同じなんだ」
「何を根拠に、そんなたわごとを…」
「根拠？　なら、一緒に考えてみようか。僕には君の三〇倍の時間があったから、それについては十分に考える時間があったんだよ。僕のこの知識を君と共有しないのは、罪だろう？　だから、考えてみてよ。お父さんとお母さんについて」
「…なんだって？」
　突然の質問に虚をつかれて、義行は口ごもった。
「僕ら…この場合の僕らってのは僕と君とレイナのことだよ。僕らは、お父さんとお母さんのことをどう思っていたんだろう？　そして、お父さんとお母さんは、僕らのことをどう思っていたんだろう？」
「どう思うも何も、親は親に決まってるじゃないか。俺たちを生んでくれた親、育ててくれた親だ。感謝してるよ。それに二人から見れば、俺たちは自慢の息子と娘だったはずだ」
「ぶー。オトナの坂崎義行君は、嘘をついてます」
　少年はおどけた口調で言った。
「嘘だって？」
「嘘さ。僕たちは両親に対して感謝なんかしていない。憎んでさえいる」
「馬鹿な」
　義行は吐き捨てるように言った。
「認めたくない気持ちはわかるよ。でも、冷静に考えてみるんだ。あの二人は、僕たちに何を与えてくれた？　与えてくれたのは見せかけの命さ。僕たちは、あの二人が『自慢の子供たち』と呼ぶために作り出された、ただの幻影なんだよ。寝物語にコンピュータの発明と発展の歴史を聞かされ、絵本のかわりにプログラミングの教本を与えられた。親のいいつけを従順に守り、おとなしくして、感情を表に出さないようにしつけられた。親の望む『理想の子供』になるように、洗脳されたんだよ」
　少年の表情が残忍に歪み、口調から陽気さが消えた。
「お前は狂ってる。被害妄想も、そこまでいくと手に負えないな」
　この義行の否定にも、少年はたじろぐ様子がない。
「そうさ、狂ってる。でも、僕と君は同一なんだから、僕が狂っているということは君も狂っているんだよ。君は気付いていない。僕らは、明らかに抑圧されていた。親は子供である僕らでさえ、プログラミングできるものであるかのように扱ったんだ。抱きしめられた記憶があるか？　殴られた記憶があるか？　すべては機械的に、淡々と理屈ばかりを叩き込まれただろう？　まるでプログラミングのように、理詰めでさ。あの二人はコンピュータのプログラムだけに飽き足らず、人間そのもののプログラミングにさえも手を出したんだよ。僕らは、人間の領域を超えようとした傲慢な両親によって、不幸にも産み出された。僕らは狂った失敗策、怪物なのさ」
「嘘だ。お父さんやお母さんは、そんなつもりでは……」
「そんなつもりだったんだよ。僕は知っているんだ。なぜなら」
　少年は歪んだ笑みを浮かべたまま自分の頭を指差した
「なぜなら、ここにはお父さんの知識が入っているからね。生身の君には難しいかも知れないけど、僕にはお父さんの知識を選択的に取り出すことができる。お父さんがお母さんと一緒に、子供をどういうふうに『組み立てる』か、という相談をしている姿が、ちゃんと記憶されているんだよ。イカしてるだろ？」
「…嘘だ、そんなの……」
「じゃあ、六年前のあの日、なんでお父さんは僕たちをほったらかしにして、他の人たちの脳マップだけを統合して現実に送り返そうとしたのさ？　僕たちの脳マップのことなんて、ぜんぜん気にしてなかっただろ？　プロジェクトの進行のほうが重要だったんだよ。僕らはただの技術者で、交換がきくと思ってたのさ」
「…嘘だ……」
「なぜ僕らがお父さんの脳マップを自分の脳の未使用領域に書き込んだのか、その理由を憶えていないかい？　それで、勝てると思ったんだ。お父さんの知識を得て、自分はお父さんやお母さんの呪縛から解放されると思ったんだよ。まだわからないのかい？　僕らは、束縛の対象であった両親から逃げ出したかったんだ。束縛の対象であった両親を打ち倒したかったんだ。そうだろ？」
「嘘だ！」
「頑固だなあ。じゃあ、僕とレイナの関係はどうだい？　なんでそんなことになったんだと思う？　当時の僕らでさえ、ネットワークに流れている情報で、それが『普通じゃない』と定義されているのは知っていた。なのに、僕…いや、君とレイナはなぜ、互いに触れ合わずにはいられなかったんだ？　答えは簡単、それが抑圧への反抗だったんだよ。『いい子』でいるのに嫌気がさしたのさ。それに、僕らは接触に飢えていた。親が与えてくれなかった愛情を埋め合わせるために、僕ら姉弟は禁じられた愛の形に走ったんだ」
「嘘だ！　嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁっ！」
　義行は思わず両手で顔を覆い、叫んだ。
「まだあるよ。僕も君も他人の苦痛を見るのが好きなのは、いったいなぜなんだと思う？　自分でもそんな自分自身がおかしいと感じたことはあったよね。最初は、プログラムを破壊するウィルスの作成から始まった。そして、育成シミュレーションの動物を殺すこと。サイバースペースで、人間の幻影を殺すこと。最後には、人間を相手にしたデュエルで、実在する誰かの悲鳴を聞くことだった。どうしてか、まだわからないのかい？　すべてを破壊したかったんだ。両親が嫌いだったし、両親の望み通りの姿になっている自分が嫌いだったし、そんな自分の姿を見て両親の思惑通りに誉めそやす他人が嫌いだった。その連中を苦しめてやりたかった。そして、その連中が愛好するサイ・トキオでさえ、破壊してやりたいと思っていた」
　義行は目を固く閉じ、首を横に振り続けた。信じたくなかった。しかし、それが事実であるのは、自分でもわかっていた。
「さあ、白状しようよ。なんでパラ・トキオの自己拡張機能が暴走したのか。パラ・トキオの最終テストの段階では動作していた拡張機能のリミットを、いったい誰が解除してしまったのかをさ」
「…頼む……もうやめてくれ……」
　義行の固く閉じた目から、涙が流れ落ちた。
「自分の理想郷を永続させるためにパラ・トキオという魔物を解き放ったのは、誰なんだ？　サイ・トキオなんか拡張を続けるパラ・トキオに飲み込まれてしまえばいい、そう思っていたのは誰なんだ？」
「…俺だよ。そうさ、俺さ！　俺がやったんだよ！　俺が六年前のあの日の前日に、リミットを切ったんだ。さあ、認めてやったぞ。これで満足か？」
　義行は涙をぬぐいながら少年をにらみつけ、叫んだ。
「満足か、だって？」
　少年の表情から、ふと一切の感情が消えた。少年は目を細めて義行を見ながら、ゆっくりとつぶやくように言う。
「僕はこの世界が永遠に続けばいいと思っていた。でも、間違っていた。肉体から完全に切り離された瞬間に、僕はとても大切なものを失ったことを悟ったんだ。人間は、永遠になんか耐えられない。変化を求めていなければ、駄目なんだ。閉じた有限の世界にいることに、我慢ができないんだよ。そして何よりも僕が許せなかったのは、その僕にはできない贅沢…現実に足をつけて生きることを、その価値に気付きもしない君が享受していることだったんだよ。僕は不公平だと感じた。同じ僕なのに、なんでこんなに差をつけられなきゃならないのさ？　だから、僕は決めたんだ。いつか必ず、自分の体に戻るんだってね」
　少年が指を鳴らす。と、少年と義行の間に、ふた振りの片刃の剣が出現した。剣は地面に突き立つ格好で、鈍い光を放っている。
「ヨシユキ、やめなさい。あの人はあなた自身なのよ」
　真理奈が少年の顔を見据えて鋭い語調で言った。しかし、少年はその言葉を無視して、無表情なままつぶやく。
「二人の坂崎義行はいらない……だから、公平に勝負しよう。ウィルスなし、修復なし、剣のみの、僕らが大好きなデュエルでね」
　義行は呆然とした面持ちで、出現した剣と少年の無表情な顔とを交互に見た。そして、少年の脇に立つ真理奈の顔を見る。真理奈は小さく首を横に振りながら、懇願するような目で義行を見つめていた。振り返ってカノーとマキムラを見る。カノーは息を飲んで状況を見守っていたが、マキムラはおもむろに口を開いた。
「その子供の言うことに惑わされるな、坂崎。お前は違うんだ。確かに、デュエルで他人を傷つけたこともあるだろう。だが、お前はそこにいるガキのようにまで残忍にはならなかった。創造的な仕事をして、社会に貢献さえした。だから、お前は違う。不幸を気取っているそこのクソガキとは違う。そんな奴など、叩きのめしてやれ」
　そのマキムラの言葉で、義行は決断した。彼は目の端に残っていた涙をぬぐいとり、少年を見据える。
「システム崩壊までの残り時間、推定一〇分」
　リナが静かに告げた。
「どうやらやる気になってくれたようだね。でも、急いだほうがいいと思うな。このゲームにはフィナーレとクレジットが入る。正常終了してログアウトするのには、けっこう時間がかかるはずだよ」
　少年は微笑みを見せて、真理奈の手を離した。
「リナ、賢者の石を使ってゲームを終了した場合、全員のログオフまで何分かかる？」
　義行はリナに声をかける。
「ゲームのフィナーレで五分四六秒。全アクセス者のログオフ手順に三九秒。合計六分二五秒が必要」
　リナは静かに答えた。
「リナ、システム崩壊から逆算して、全員が安全にログオフできる賢者の石の使用刻限を算出してくれ。そして、そのタイムリミットのカウントダウンを頼む」
「実行…」
「カノー、タイムリミットがきたら、俺とこのガキの決着に構わず、これを使ってログアウトしろ！」
　義行は玉座の間から持ってきた賢者の石を、カノーに向かって投げた。カノーは戸惑いの表情を浮かべながらも赤い石を受け取り、うなずいた。
「じゃあ、始めようか……」
　少年は、ゆっくりと剣に近づいた。義行も剣に歩み寄る。そして、二人は同時に剣の柄を握った。
「賢者の石の使用限界まで、残り三分」
　リナが宣告する。義行は、剣の柄を握ったまま声を張り上げた。
「誰か、合図を！」
「私がやろう……」
　名乗り出たのは、マキムラだった。
「いくぞ。デュエル、レディ！」
　義行は目の前にある少年の顔をにらみつけながら、剣の柄を握る手に力を入れた。
　そして、二人の間の緊張が高まった瞬間、マキムラの声が響いた。
「ファイト！」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（滝澤真実）