９
　六年前、二〇五五年。ＲＳリサーチ社。
　すでにゲーム開始から三時間が経過していた。ゲーム内での時間に換算すると四日目が終わろうとしている計算になる。
　俯瞰マップには、各プレイヤーの位置が表示されていた。ＲＳリサーチ組とサイバーラボ組は、それぞれ別のルートを通って賢者の石の眠る『果ての迷宮』へ向かっている。半時間ほど前に一度サイバーラボ組が賢者の石に最接近したのだが、システムは臨機応変にシナリオを変更し、強力なガーディアンを出現させたのである。ガーディアンを倒すためには、特別なアイテムが必要だった。現在、ガーディアンを封印するアイテムを手に入れたＲＳリサーチ組と、ガーディアンを倒すアイテムを手に入れたサイバーラボ組は、互角のペースでゲームの佳境へと突進していた。
　しかし、モニタ機能はパラ・トキオのシステムにだけ向けられていたため、パラ・トキオが本来は接続されるはずのないネットワークに連結していたことには、誰も気付いていなかった。むろん、その外部ネットワークの処理能力を使って幾何級数的な速度でゲーム世界の拡張をおこなっていることなど、想像さえできなかったのである。
　誰一人、異変の兆候には気付かずにいた。
　その時、荒神の生体反応をモニタしている画面に、わずかな変化が見られた。データを検分していた坂崎陽子は眉をひそめ、システムにデータの解析を要求する。
「脳波に未知の変化、散発的な夢（三七％）／外部からの干渉（一二％）／精神分裂（二％）／不確定要因（四九％）。現在は変化前の状況に安定」
　坂崎陽子は首を傾げた。たとえ人体モニタの機能が発達したとは言え、人体の機能そのものが完全に解き明かされたわけではない。まれにこういうこともあるのだろうと、彼女はその変化を意識の外に押し出すことにした。
　しかし、荒神のデータの解析結果を見ている間に、同様の変化が全員の脳波にあらわれていたのである。そのことに気付いた坂崎陽子は、初めて強い危機感を覚えた。何か理解できなことが進行しているようであった。即座に強制ログオフするべきか、それとももう少し様子を見ているべきか……。
　そして、坂崎陽子のその一瞬の迷いが、すべてを決した。
　突如けたたましいアラームが鳴り響き、一斉にプレイヤー全員の脳波が停止したことを告げはじめたのである。坂崎陽子は呆然とし、モニタリングシステムが故障したのだ、と考えた。震える手でシステムの自己検診プログラムを実行する。
「システムに異常なし。警告、脳波停止、宮上詠子。警告、脳波停止、荒神修司。警告、脳波停止、佐藤隆。警告、脳波停止、松田英輔。警告……」
　人体モニタ画面のすべてが赤く染まり、冷淡に全員の脳波停止を宣告していく。完全に思考力を失った坂崎陽子は、手近にいた娘の体をアクセスブースから引き離した。真理奈はぐったりとしたまま動かない。
「なんてこと……」
　娘の体を抱きしめ、彼女はつぶやいた。しかし、機械的に鳴り続けるアラームに、その沈んだ声はかき消されてしまう。
「どうしました？」
　アラームの音を聞きつけたビルの警備員が、研究室に飛び込んできた。彼は娘を抱いたまま呆然としている坂崎陽子の脇をすり抜け、モニタ画面にかぶりつくように見入った。
「…脳波停止って……どういうことですか？」
　警備員は坂崎陽子のほうを振り返ったが、答えが帰ってきそうにないことを知って別の画面をのぞき込んだ。画面にはめまぐるしくプログラムのコードが表示されていたが、その流れが一瞬止まったかと思うと、小さく文字が明滅した。
「パラ・トキオ・システム再起動手順、未保存のデータを保存中…」
「再起動？　いったい……坂崎さん、何がどうなってるんですか？」
　警備員のその言葉にようやく反応を示した坂崎陽子は、ゆっくりと立ち上がるとモニタ画面に向かって歩いた。
　画面の表示が、「保存中」から「保存完了」になる。
　と、アクセスブースに過電流が流れ、ブースからモニタに向かって激しくスパークした。ブースに座っていた七人のうち、坂崎義行をのぞく六人が脳に重大な損傷を受けて心停止状態になり、青白いスパークを浴びた警備員と坂崎陽子は、感電して折り重なるように倒れた。
　人体モニタもすべてがオーバーロードのために火花を散らし、その機能を停止する。ただ、モニタ画面こそ損傷したもののシステム本体は無傷だったパラ・トキオだけが、黙々とシステムの再起動手順を実行していた。
　唯一過電流が流れなかったブースにいた坂崎義行は、小さくうめいてブースの外に転がり出る。そこに数名の警備員が駆けつけ、目の前の惨状を見て即座に救急へ通報したのであった。
「ＲＳリサーチ社の新製品開発研究室で感電事故。試験に立ち会っていた同社の顧問・松田英輔氏（七八）、共同開発をおこなっていたサイバーラボ社の社長・荒神修司氏（三五）ら、計八人が死亡、二名が病院に収容された」
　翌日のネットニュースでは、事件は短くそう報じられただけだった……。

　そして、現在。パラ・トキオ、果ての迷宮…玉座の間。
　純白のドレスを身にまとった黒髪の乙女は、玉座の上で目を閉じたまま、呼吸にあわせてその細い肩を静かに上下させていた。
　銀髪のアラカミは、血の色にも似た紅色の石に手をのばす。賢者の石はアラカミの手に触れ、脈打つようにその赤い輝きを増した。
「六年だ。実時間で六年……わかるか？　ここの時間では一八〇年にもなる。その長きにわたって、私はこの日を待ち続けていたのだ」
「待つ？　なぜだ？　お前が勝手に残ることを決めたというのに」
　義行は吐き捨てるように言った。
「忘れたとは言わせん。あの日、お前は真理奈を封印して去った。以来、真理奈は眠り続け、私は目覚めを待ち続けたのだ」
　アラカミの視線が、遠く過去をさまようように揺れた。
「封印？　知らないな…」
　義行はそう言ってから、しきりに思考をめぐらせた。考えられる理由は、まだ彼自身の記憶すべてが戻っていないか、アラカミが勘違いをしているか、どちらかである。
「知らんだと？　とぼけるな！　お前はあの時、確かに時が満ちれば封印は解けると言ったではないか！」
　義行には、そのような記憶はない。
「さあ、時はまだ満ちないのか？　はやく真理奈の封印を解いてくれ、頼む……私は真理奈を愛しているのだ。ずっと、私は自分が幼い少女しか愛せないと思っていた。しかし、成長した今の姿になっても、私が彼女を愛していることには変わりない。一八〇年が過ぎても変わらない、真実の愛を私は手に入れたのだ。私は真理奈が自分に向かって微笑んでくれるだけでいいのだ。それ以外の何を望もうか。知識を手に入れてこの世界に君臨することなど、真理奈に比べたら些細なものだ。頼む、はやく彼女の封印を解いてくれ…」
　そもそも、バーチャルリアリティ内のダミースーツの外見が成長するというのもおかしな話である。不信を覚えた義行は舌で歯の裏をリズミカルに叩き、レイナに向かってコマンドを発行した。
「調査中…」
　本来は彼の頭の中に響いてくるはずの声が、外から聞こえてくる。驚いて声の主を見ると、それはリナだった。彼女は表情を変えず、淡々とレポートを続ける。
「調査結果。対象のダミースーツには特殊なプロテクト処理。アクセス不能。ダブルトラップ式セキュリティシステムとの類似率八五％」
　「リナ＝ＲＥＮＡシステム」という状況をすぐさま理解して受け入れた義行は、間髪を入れずに声を出す。
「リナ、プロテクトの解除を開始してくれ」
「解除中……二〇％……四〇％……六〇％…」
　リナの声に、アラカミの目が興奮して輝く。
「八〇％……解除完了」
　アラカミが、カノーが、そして義行が、視線を玉座の上の真理奈に注いだ。
　と、リナが穏やかな声で告げる。
「警告、プロテクト解除と同時に未知ウィルスの活動を関知」
　その声の意味を再確認するまでもなかった。彼らの眼前では、玉座の上の真理奈の体が溶け出していたのだ。彼女の白い肌の奥から赤い血肉がこぼれ出し、純白のドレスを汚した。髪は黒い汗のように流れ落ち、それとともに顔も溶け、眼球がどろりとあふれた。
「真理奈ぁっ！」
　絶望に満ちたアラカミの絶叫が玉座の間に響きわたり、アラカミはまるで崩壊を止めようとするかのように、赤黒いどろどろに手を差し出した。しかし、その醜悪な液体はその手には受け止めきれず、彼の足元へとこぼれ落ちていく。
「……真理奈…レイナ…」
　おぞましい色の液体と化した姉を思い、義行は激しい喪失感に襲われた。
「…奇妙だとは思わないか？　触れているアラカミにはウィルスが感染しない。そう、ウィルスというよりは、内部から崩壊するように仕組んであったようだ…」
　その中で、ひとりだけ冷静だったのはカノーである。しかし、カノーのそのつぶやきは、誰の耳にも届かない。
「……よくも……よくも……よくも……真理奈はお前の姉だろうがぁっ！　義行！　よくもこんな仕打ちを！」
　アラカミが怒鳴りながら、憎悪のこもった視線を義行に向ける。
「待て、俺だって知らなかったんだ…」
「許さんぞ…もう許さん！」
　言うがはやいか、アラカミは腰の剣を抜いて躍りかかってきた。何の備えもできていなかった義行はとっさに目を閉じたが、剣の当たる衝撃はこなかった。
「シールド展開。防御中」
　リナが冷静に告げる。
　義行は目を開けた。眼前には青白い透明色のシールドが張られており、アラカミの振り下ろした剣を受け止めている。剣の当たっている部分では、剣から発せられるウイルスと、そのウィルスによる崩壊を自動修復しているシールドとがせめぎあい、シールド面が黒くにじみながら揺れていた。
「こしゃくな！」
　アラカミは剣を持つ手にいっそうの力を込め、義行に怒声を浴びせた。その声とともに活動ウィルスの量が増加し、シールドが大きくゆらぐ。瞬間、義行の視界全体にノイズが走り、義行は平衡感覚を失ってがっくりと膝をついた。
「警告、ウイルスと接触。視覚および姿勢制御モジュールにダメージ」
　義行の耳に、リナの声が響く。揺らめく視界の隅では、カノーがアラカミに向かって刀を振り下ろすのが見えた。
「ウィルス自動排除手順発動……ウィルスを排除。ダメージ修復を開始……」
「畜生！　リナ、Ｃウィルスをアラカミめがけて送出だ！」
　義行が苦労して立ち上がりながら叫ぶ。
「送出」
　リナの声と同時に、アラカミの体が黒い筋に覆われていく。しかし、徐々に視野が回復していくうちに、義行はウィルスがすべてアラカミの防護プログラムによってはじかれていることに気付いた。アラカミは体の表面を這う黒い筋を意に介せず、カノーと激しく切り結んでいる。
「ええい、邪魔だ！」
　アラカミは右手一本で剣を巧みに操りながら、左手をカノーに向けた。その手の中心に、赤い光の玉が生まれる。
　アラカミの意図を察したカノーは慌てて身を退いたが、間に合わなかった。アラカミの左手からほとばしった赤い光に直撃され、カノーは大きく弾き飛ばされる。間髪を入れずアラカミは倒れたカノーに躍りかかり、その無防備な顔面に剣を振り下ろした。
　ガッ…
　きわどいタイミングで展開したカノーのシールドが、顔からわずか数ミリのところでアラカミの剣を止めた。しかし、そのシールドは大きく揺れ、アラカミの剣から出るウィルスの圧力に、今にも崩壊しそうである。
「リナ、パラ・トキオに穴を開けたって構わない！　Ｄウィルスを送出！」
　義行は声を張り上げたが、リナはそれを静かに拒絶する。
「それは危険です。対象以外にも損害を……」
「うがぁぁぁっ！」
　シールドを破って侵入したウィルスに冒され、カノーが苦痛の叫びを上げる。
「リナ！　いいから、はやく送出しろ！」
「…送出」
　瞬間、アラカミの左腕と左胸、そして顔の左半分がきれいに吹き飛ぶ。アラカミは膝をついたが、それでも剣を支えにして辛うじて倒れずにいた。ウィルスによって吹き飛ばされた体の破片が玉座の間に散らばり、破片に触れた床もウィルスに侵食されて崩壊していく。いくつかの破片はカノーの身にも降りかかり、カノーの体もまたウィルスに侵食されはじめていた。
「リナ、最優先でカノーのウィルス排除処理と修復を手伝うんだ」
「処理開始」
　ところどころに穴のあいていたカノーの体は、徐々に回復していく。
　しかし。
　それよりも速いスピードで、床の穴が、そしてアラカミの体が復元していた。
「あの復元力……どこにあれほどの処理能力があるんだ？」
　義行は愕然とし、なかば恐怖に似た感情に駆られた。Ｄウィルスでさえもアラカミのダミースーツを破壊することはできない…勝てないのだ…。彼は困惑の表情をリナに向ける。と、リナの顔と幼い頃の真理奈の顔が重なって見えた。
　そして、脳裏によみがえってくる記憶。
　元気だして！　諦めちゃだめよ。笑って笑って。(^-^)
　遠い記憶。真理奈の記憶。目の前で溶けてなくなってしまった真理奈の…。
　畜生、ここで諦めてたまるもんか……義行は慌てて頭を振り、自分自身を叱咤した。
「リナ、アラカミに向けて、Ｄウィルスを連続送出してくれ。平行してアラカミの復元処理がどこで実行されているかを特定。発見次第そこにもＤウィルスを連続して送ってやれ！」
「実行。検索中……」
　たて続けにＤウィルスの攻撃を受けたアラカミは、一瞬そのまま消滅するかに見えた。しかし、Ｄウィルスの動作を学習したアラカミの防衛システムが徐々に挽回して、やがてウィルスによる崩壊速度よりも復元速度のほうが速くなる。
　アラカミは、徐々に人間としての形を取り戻しつつあった。
「畜生、まだ見つからないのか？」
「検索中。完了まで推定一〇秒」
　加速度的に復元速度を上げていくアラカミは、みるみる完全な姿に戻り、ゆっくりと立ち上がって義行をにらんだ。
「ふう…さすがに今のは効いたな」
　もはや、アラカミめがけて送出され続けているウィルスは何の効果も示していない。アラカミは剣を構え、義行に向かって歩きはじめる。
「くそ、リナ、まだか？」
「検索中……検索完了……該当システムに高度のプロテクトを確認。プロテクト自動解除シーケンス利用不能。Ｄウィルス送出不能」
　すでにアラカミは義行の眼前にまで迫っている。義行は後退しながら、修復されたカノーが立ち上がる姿を見た。
「カノー！　しばらくアラカミの相手を頼む！　俺は奴の処理中枢を止める！」
　カノーは険しい表情を浮かべながらも、うなずいた。立ち上がったのはいいが、まだ完全に修復が終わっているわけではないようだ。
「真理奈の仇だ！　死ね！」
　アラカミの剣が振り下ろされ、義行はきわどいところで身をかわした。そこに刀を構えたカノーが駆けつけ、二人は対峙する。
　義行は後退して二人から離れると、キーボードを打ち始めた。
　該当システムの位置…プロテクトの種類……。
　剣戟の音が響く。目を上げると、アラカミとカノーが切り結んでいる姿が見える。アラカミがやや優勢で、カノーは押されていた。
　義行は再びプログラムに意識を集中した。
　アラカミの処理を支えているシステムはパラ・トキオそのもののセキュリティ・システムで、全体をモニタして適切な処理を自動的に判断している。アラカミは長期間パラ・トキオに存在していたために、システムはアラカミをパラ・トキオの一部と判断しているのだ。すなわち、アラカミの防御システムを止めることは、パラ・トキオ全体の防御停止にも近い意味を持っていた。
　溶けて消えた真理奈…狂気の世界パラ・トキオ……。
　いいだろう、この俺の手で、引導を渡してやろうじゃないか。
　義行は「小鬼」というプログラムを作成しはじめた。これは非常に初歩的なプログラムで、自身のコピーを永遠に作り出し続けるものである。プログラムはごく小型で動作が速く、一度動きはじめるとなかなか止められない。記憶装置の空き容量を圧迫してシステムの動作を阻害し、運が良ければシステムにとって致命的なプログラムを破壊してくれる。このプログラムを、システムが受け取るモニタ結果のデータに混入できれば…。
「義行！　まだか！」
　カノーが叫ぶ。彼はアラカミに激しく攻めたてられ、防戦一方になっていた。
「よし、できた！　リナ、システムのモニタ信号を追跡、すべてのモニタ結果のデータに『小鬼』を混入しろ」
「追跡中……特定。混入完了」
「うがっ…」
　カノーの声に、ヨシユキは顔を上げた。どこを切られたのか、カノーはのめるようにして床の上に崩れ落ちた。
「いま行くぞ、義行……」
　倒れたカノーをその場に残して、アラカミがゆっくりと近づいてくる。
「まだ効かないのか。くそっ、リナ、アラカミにＤウィルスは送り続けてるのか？」
「送出中」
「小鬼よ、はやく効いてくれ……」
　義行は壁際まで後退し、歩み寄ってくるアラカミの姿を見つめた。アラカミの体の表面を、時折黒い筋が走る。システムに小鬼の影響が出はじめ、ウィルスの動きが活発になってきた証拠だった。
　アラカミはそれに気付かず、目に涙を浮かべながら絞り出すような声で言った。
「義行。お前は真理奈を消したのだ。一八〇年も待ち続けた俺の目の前で、真理奈を消したのだ。この償いはしてもらうぞ。お前を……おお…おおぉぉっ！」
　その瞬間、アラカミの体の中央に出現した真っ黒な固まりが、アラカミも、そしてその周囲も、すべてを飲み込んで膨張しはじめた。
「……ま…り…」
　アラカミは苦しげにそこまで言うと、消滅した。
「警告。防御システムの実質稼働率五〇％まで低下。Ｄウィルスの活動を抑制できません。システム崩壊の危険性大」
　リナの警告の言葉以上に、目の前で広がっていく黒い穴が義行の危機感をあおった。アラカミを飲み込んだその黒い穴は、その成長の速度をはやめながら拡大していく。
　義行は穴を迂回して玉座の前に浮かんでいる賢者の石を取り、床に倒れているカノーに駆け寄る。カノーのダミースーツは著しく機能が低下していたが、まだ辛うじて活動が可能な状態だった。
「リナ、全員でここからもっとも離れた位置にジャンプだ。脱出する！」
「了解…」
　リナの声と同時に、義行とカノーは開けた草原に転移していた。
　義行は太陽のまぶしさに目を細めながら、カノーの様子を見る。アラカミの剣によって切り裂かれた腹部は、すでにカノー自身の防衛システムによって修復が始まっていた。
「リナ、カノーの修復を手伝ってくれ。平行して、パラ・トキオの崩壊の可能性を検討」
「処理開始……」
　そのリナの声と同時に、カノーの腹の傷はより大きな亀裂となり、最終的にカノーの体は二分されてしまった。
「おい！　リナ、どうなってるんだ？」
「対象に異物を確認。分離しています」
　カノーの上半身からは、切断されたものとは別の下半身が復元されていく。逆に、カノーの切断された下半身からは、別の人間の上半身が成長しはじめていた。その上半身は、カノーのものと比べていかつく、骨格もがっしりとしている。
　その顔の輪郭が明確になるにつれて、義行はそれが誰であるかを理解した。
「マキムラ……」
　カノーとマキムラの復元がほぼ同時に終了し、二人は前後して身を起こす。
「分析データ報告。パラ・トキオのシステム崩壊の可能性、一〇〇％。詳細…小鬼の活動率、二三％。パラ・トキオの防衛システムの稼働率、四七％。〇．〇四ポイント／秒の割合で、減少中。防衛システム停止まで約二二分。Ｄウィルスによるシステム全体の崩壊は、推定でその五分後」
　リナが静かに告げた。
「まだ三〇分近くあるのか。なら、それまでの間に、なんであんたがこんな所に現われたのか、教えてもらおうか」
　義行はマキムラを見据え、言った。
「何も難しい話ではない。六年前、松田老人と佐藤、宮上の三人は、私の脳の未使用領域に記憶をコピーされ、このパラ・トキオを脱出した。しかし、脱出した先では私の肉体が過電流によって活動を停止していて、我々は行き場を失ったのだ。しばらくの間、我々はサイ・トキオの中でのみ存在しうる電子的なデータとして活動していたが、どうにかＲＳリサーチ社の社長と電子メールを介して接触し、事件の全容を伝えた。しばらくは電子の世界で漂うように暮らしていたが、最近になってパラ・トキオが関係すると思われる事件が多発したために、テストの最終段階にあったアンドロイド型パペットを与えられ、調査を開始したのだ。そう、私は四人分の知識と電子的存在という利点を生かし、調査をしていただけだった」
　マキムラは淡々と語った。
「それで？　これですべて解決したのか？」
「おそらく、な。パラ・トキオはシステムの自主拡張機能が暴走した。この世界に取り込まれた人間は、脳のデータをここに移動されてしまい、外には出られなくなる。そして、システムはその莫大な量の脳データを保存するために、マネー窃盗をはたらき、資材購入と拡張工事の発注をおこなっていたようだ。パラ・トキオはもうじき消滅する。そして、この世界を選んだアラカミは完全に死んだ」
「なるほど…それで、俺たちはこのままここで一緒に消滅する運命なのか？」
「いや、ここに閉じ込められた人々の肉体は、ＲＳリサーチ社が理事を勤める病院に集められていて、アクセス・プラグに接続されている。理論上は、正常にゲームを終了しさえすれば、全員の脳データが肉体に戻る…はずだ」
　マキムラの自信なげな口調に、義行は顔をしかめた。
「それに賭ける気にはなれないな。リナ、その病院のアドレスを調査し、全員の脳データが正常終了によって間違いなく復帰するかどうか、確かめてくれ」
「調査中……完了。プログラムに問題はありません。」
「しかし、失うものが多かったな。私たちは肉体を、そして君は肉親すべてを失った」
　マキムラの言葉に、義行は顔をしかめた。目の前で溶けてしまった真理奈の姿がまざまざとよみがえってくる。
　と、不意に陽気な少年の声が響いた。
「何シリアスになってんのさ。たかがゲームだよ。楽しくいかなきゃ」
　驚いた一同が声のした方向を見ると、そこには中学生くらいの少年と、その姉とおぼしき美しい少女が手をつないで立っていた。
　義行はその二人の姿を見て、声を失った。
「ゲームなんだよ、全部ね。演出さ。どう？　僕の与えたクエスト、けっこう良かったでしょ。楽しんでくれた？」
　変声期にさしかかった独特の声で話す少年の姿は、まぎれもない、六年前の彼自身の姿だった。そして一緒にいるのは、六年前に別れた時と何の変わるところのない、真理奈である。少年は冷たい視線を義行に向け、皮肉のこもった口調で言った。
「やあ、久しぶりだね。元気だったかい？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（滝澤真実）