８
　　　　　　＊
　――きみの呪文盤をみせてくれないか？
「じゅ……呪文盤……？」
　目の前にいる黒ずくめの若い男の言葉に反応して、カノーの脳裏にファイルイメージがまたたく。ヘッダーに記載されているのは――
　マツダ　職業＊＊＊＊　レベル６６＊　データが壊れているのか、ちゃんと読み出せない。何度かリトライしたあげく、実行ファイルがあらたに作成される感じが耳の後ろをくすぐったくさせ、手首にバンドで止められた形でこぶりな呪文盤があらわれる。キーの数も少なく、簡易な感じだ。
「へえ……この人も魔導士なんだ。でも、カッコは神官だよね。色は悪趣味だけど」
「剣を見てみろ。あれは高位の魔法剣士用のカタナだ。それもニンジャかサムライの持ち物だ。さっきは呪文盤なしで頭上にシールドを張っていた。つまり、防御呪文の常駐だ。これも容量によほど余裕がないとできない。なのに、神官としてのレベルはかなり低い。こんなめちゃくちゃなキャラクターはみたことない」
　義行はカノーを値踏みするように言った。
「何者だ、おまえ。もともとのシナリオにはなかったキャラクターじゃないのか？」
「う……おれ……」
　頭が割れるように痛い。自我が押しやられ、圧迫される感じ。
　その時だ。回廊の奥から腐肉をまとった骸骨戦士が群れをなして襲って来た！
「アラカミのやつ、手加減って言葉を知らないのかよ！？」
　マーリが毒舌を吐きながら前衛に飛び出す。カノーの脇を通りぬけるとき、その肩を軽く押しやる。
「おっちゃん、後ろに下がっときな。あんたも冒険者なんだろ。ヨシユキを手伝ってやってくれ」
　カノーはその横顔に見とれた。年齢はそう高いようには思えないのに、まるで、そう――おねえちゃんのようだ――
　骸骨戦士は、ヒトのみならず、イヌや鳥、ウマの骨なども合成されていた。キメラの骸骨版といった感じだ。腐臭がものすごい。
　けけくく。
　歯をポロポロ抜け落ちさせながら、骸骨のあぎとが笑う。眼窩の奥には鬼火が光っている。
　その頭蓋をマーリが放った矢が貫通する。連射が可能な新式のボウガンだ。これでマーリは接近戦もこなせるようになった。続けざまに数発の矢を敵に叩きこむ。
　声なき骨片となった異形が散乱する――が、敵は後から後から押し寄せてくる。
「マーリ、装甲硬化！」
　リナが覚えたての呪文をタイプする。その手つきはまだたどたどしいが、マーリとの息は合っている。
「打撃増強、修正プラス２！」
　続けざまの支援呪文に、マーリの攻撃力が倍加する。あたりに白い骨と黄土色の肉片が飛び散っている。
「す……すごい……」
　カノーは目をまるくした。
「リナの呪文は、おれが仕込んだからな」
「あんたがサカザキか、わたしは……」
　ふと、名前を言いかけて、カノーはこめかみに走る激痛にうめく。
「……わたしは、紅の神官、カノーだ」
「おれの名を知っているのか……？　ふ、いずれにしろ、賢者の石を扱うためには神官のあんたの力が必要だ。前のクエストでは、マツダというじいさんと、レイナが神官だったんだが……」
「マツダ……レイナ……賢者の石……」
　すべてはつながっている。大切なことが秘められている。あらゆることがひっくりかえってしまいそうな……どこでそのデータのつながりを見たのか。圧縮されたデータを展開する暇もなく踏み込まれて、そして……
「あんたもアラカミに会う必要があるんだろ、カノー」
「そうだ」
　自分ではない誰かがそうきっぱりと答えるのをカノーは聞いた。
「なら、行こう。マーリがそろそろきついようだ」

            ＊＊
　イビルガーディアンの最後の一体を風化魔法で消滅させた義行は、汗ばんだ額に小さな手が触れるのを感じた。少し、かたい感じがする。
「すまない、リナ」
「だれがリナだって？」
　怒ったような口調でマーリが言う。イビルガーディアンには直接攻撃は効かない。だから、マーリが後衛にまわっていたのだ。少し離れたところでリナは肩を上下させてへばっている。そのそばで紅の神官カノーがおずおずと回服薬の袋を差し出していた。
「そっくりだから、まちがえたんだ」
　いちおう言い訳を試みる。だが、マーリは不機嫌なままだ。
「うそだね。いつもベタベタしてるから、リナだと思うんだ。あたし、知ってるよ」
「な、なにを」
　義行は動揺を顔を出すまいと無表情を装う。
「言えないよ、んなこと。でもね……」
　マーリの顔がさらに曇る。
「かわったよ、あの子。なぜなんだろ。一心同体だと思ってたのに。もっとへんなのはさ、あたし、ヨシユキに会う前のことって、思い出せないんだ。まるで、それまで自分なんかどこにもいなかったみたいにさ。へんだろ？」
　マーリは笑った。でも、うつろな声だ。背中を押しただけで泣き出してしまいそうな危うい笑い。
　それは、義行が知るだれかに似ていた。泣き虫なくせに、臆病なくせに、いつも義行を背中にかばっていた――レイナ……
　義行の頭のなかで、小さな音を鳴った。なにかのフラグが立ったような。
　突然、床が爆発した。
　その反動で義行とマーリは宙に投げ出される。
「ラストガーディアン！」
　イビルガーディアンの最終進化形態だ。とどめをさしそこねた一匹が床に同化して、反撃の時を待っていたのだ。
　石が融解してできた触手を伸ばし、空中で義行の身体をつかもうとする。
「ヨシユキッ！」
　マーリが矢を放つ。義行の首に巻きつこうとしていた触手が切断される。その隙に義行は呪文盤のショートカットキーを叩き、呪文生成マクロを呼び出す。
　――その呪文は準備されていた。義行は迷うことなく実行キーを押す。
　ラストガーディアンが潜んでいた周囲一体の分子運動を鈍化させ、絶対零度を呼び寄せる。
　ラストガーディアンの断末魔の叫びは、しかし、無数の石の氷の断片になって、無防備なマーリに襲いかかった。
　胸甲が貫かれ、細いからだがえびぞる。床に落下したマーリは不自然な姿勢で倒れたまま、動かない。
「マーリっ！」
　義行が駆けよった。カノーが神官服の裾をからげてやってくる。
「しっかりしろ、マーリ！」
　ゆすぶったが、もう遅い。マーリの根源ＨＰが、流れ出る血液とともに底をついていくのがわかる。回復呪文もきかない。
「……よ……しゆき……？」
　マーリが薄く目をあける。
「死ぬな、マーリ！」
　義行は自分の頬が涙で濡れているのを感じた。なんども繰り返す喪失。もどらないものたち。このパラ・トキオにあってさえ――。
「……ないてるの？　へんなの」
　少女が薄く笑う。タコのできた指で義行の手許の呪文盤にふれる。
「……あたしも、呪文、しってるんだよ……ひとつだけだけど……ほら」

　(^-^)

「あたしのためなんかに泣かないで……あたしはコピーなんだから……ほんものが、まってる……か、ら……」
　マーリの肩から力が失せる。義行はうなだれた。真理奈――姉は義行をここまで導いてくれていたのだ。そして、贈り物をくれた。
　子供部屋で、並んでキーボードを叩いてプログラムやデータをやりとりした。そのなかでの秘密の暗号。
　笑って！　元気だして！　(^-^)
　それを義行は、最も大切なものを守るパスワードにしていたのだ。
　なぜ、忘れていたのか。どうして、気づかなかったのか。
『――基本システム凍結は現時刻をもって解除されました。ＲＥＩＮＡシステム再起動します――』
　Ready！
　軽やかに起動音が響き、力強い、今までとは比較にならない処理能力がタスクを求めて咆哮しはじめる。
「ど……どうした？」
　死者を送る儀式に取りかかろうとしていたカノーは、義行の異常に気づいたようだ。
　ゆっくりと立ちあがる義行の顔はいままでとちがう。より年齢を経た男の顔になっている。
「アラカミ……そこにいるんだな。わかるぞ」
　義行の視線はまっすぐに回廊の壁に突き刺さっていた。そこに、隠蔽されていた最下層への扉が現れる。のけぞるカノーを尻目に、義行は扉に近づき、押し開ける。
　そんな義行をリナは無言で見つめていた。

            ＊＊＊
　――そこは迷宮の最奥部。この世の涯にしてそのはじまりでもある。
　ルビー色のほのかな光に照らされて、玉座はあった。
　玉座に座っているのは、女だ。二十歳くらい。美しさが全身に横溢している。秀でた額、ふせられた長いまつげ、色づいた唇。純白のドレスはさながら花嫁衣装のようにも見える。ただ、その若さを謳歌すべきかんばせに、いまはなんの表情もない。
　そして、そのかたわらに彫像のように立ちつくしている長身の男。
　深いブルーの長衣をまとい、銀づくりの剣を腰にはいている。
　その細いあごをついとあげて、虚空をみたす赤い光をみつめる。その目が細まり、銀髪がかろやかに揺れる。
「――きたか……」
　その口調は、待ちかねていた者の安堵と、そして強い、強い渇望の響きがあった。
「永かった……」
　銀髪のアラカミと呼ばれる男は、絞りだすような低い声でつぶやいた。
「ようやくだ。ようやく、すべてが終わる。六年前のあの日からこの日は約束されていたとはいえ……」
　アラカミの指が、女の髪をすくう。つややかにほどける、漆黒の流れ。
「わたしは後悔はしていない。このありようはわたし自身が望んだこと。だが」
　女のまぶたが痙攣するように動く。覚醒が近いのか。
「真の魔王がだれなのかは、もうすぐわかる。この場所で、そして、この――」
　アラカミは両手を広げ、一歩、前に進んだ。その胸に赤い光が当たり、複雑な像を飛沫のようにきらめかせる。
　その光をはなっているのは、中空に浮いた紅い石。
　――賢者の石。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（琴鳴）